夕焼け新聞9月号掲載『10年の軌跡(前編)』

ハワイ島からブログ発信中。こちらは米国オレゴン州月刊コミュニティ紙『夕焼け新聞』2023年9月号に掲載されたコラムの全文です。

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重量制限ぎりぎりのスーツケースを両手に携え、当時の夫と飼っていた猫と共に東京からオアフ島ホノルルへと引っ越しをしたのが今からちょうど10年前。2013年10月7日のことです。読者の皆様に私自身のことを知っていただく機会にもなるかと思い、アメリカ生活10年の間に起こった出来事について少し綴らせていただきます。このコラムをお読みいただいている皆様きっとそれぞれに、アメリカという国とのご縁、そして美しいノースウエストという場所へと辿り着かれた軌跡のようなものがおありなのではないでしょうか。そんなご自身の体験も思い起こしながら、しばし10年間の記録にお付き合い下さい。

アメリカ移住前の私は東京で会社勤めをしており、医療系会議のコーディネーターとして国内海外飛び回って仕事をしていました。仕事は順調でしたが、何人かの部下を抱えていた私は、自分以外のスタッフが全員英語圏で暮らした経験のあるバイリンガルという環境の中、英語へのコンプレックスと、それをどうにか解消したいという願望を抱えていました。また当時の夫はキューバ人だったのですが、彼は言葉の壁もあって定職のない状況が長く続いていました。

そんな折、ハワイでレストラン経営をしていた古くからの知り合い夫妻から、事業拡大に向けての投資とアラモアナにオープンする新店舗でのジェネラル・マネージャー(以下GM)のポジションというお話をいただいたのです。移住のために取得するビザは投資家ビザで、当然それなりの金額の投資をすることが前提です。40歳を目前にしていた私は、大学卒業以来毎月のお給料から少しずつ貯めてきた貯金をきれいさっぱり全て投資に注ぎ、やりがいのある仕事を辞めて、学生時代のアルバイト以外に経験のないレストラン業界に飛び込み、しかもGMとして、行ったこともなければさして興味もなかったハワイという場所へキューバ人の夫と共に渡る、というとんでもない選択を迫られたのでした。今から考えても、あんなに大きなリスクのある選択をよくしたものだと当時の自分を褒めてあげたくなります。思うのは、もし子供がいたら、夫が定職についていたら、既に英語が堪能だったら、あの年齢であれだけのリスクを背負っての移住を決められなかったようにも思うので、本当に人生何が吉と出るか分かりません。

とにもかくにも「えいや」で始まったオアフ島での生活。移住時には住む家も決まっていなかったため、猫も一緒に泊まれるホテルをようやく見つけてそちらに2週間滞在。その間にCraigslistでアパートを見つけ、必要最低限の家具を揃え、ソーシャルセキュリティナンバーを取得し、銀行口座を開き、生まれて初めて小切手というものを手にし、その小切手で中古の車を購入してなんとか新生活をスタートさせたのでした。

投資家ビザの取得は予定よりも長い時間を要したため、オアフ島へ移住した時点で既に新店舗のオープンから2年近い月日が経過していました。現地に到着して蓋を開けてみると、経営は既に大赤字。毎日のように業者からの取り立ての電話が入るという自転車操業の有り様。先ずは全てを透明にして現状を把握しなければと、整理し切れていない会計をクリアにするところから私のGMとしての業務は始まったのでした。そこへ来て、オープン当初から勤めている若いローカルスタッフの中に突如として日本からやってきた私が「はい、今日から私がGMです」と、想像するだけでもぞっとするような過酷さの中に飛び込んだわけですが、当時はその過酷さも認識できない程に右も左も分かっていなかったのが救いといえば救いでした。

日々の生活はと言うと、午前中ランチの仕込みでキッチン担当が出勤する前にお店を開け、夜の営業が終わって会計を締めてお店を後にすると、家に帰れば疲れてバタンキュー。そしてまた翌日、長い一日が始まります。ただただがむしゃらな毎日の中、何よりの励みはお客様からの温かい声でした。恐らくお客様の目から見ても私のGMっぷりは見ていて頼りない部分があったのではないかと思います。それでもとにかく誠心誠意、日々目の前のことに取り組んでいました。そしてそんな姿を見ていてくださったのはやはりお客様でした。「お店の前で姿が見えなくなるまで見送ってくださったこと、今でも思い出します」と日本に帰国されてからメールをくださったお客様、「きっと日本が恋しいのでは」と日本の絶景写真集を送ってくださったお客様、たくさんのお土産を携えてご来店くださる方など、心のこもった心遣いに何度も救われました。しかし結局落ちるところまで落ちた経営を立て直すことはできず、お店はクローズ。異国での怒涛のレストラン経営の日々は1年半足らずで幕を閉じました。投資したお金はもちろん全部きれいになくなって、残ったのは幸いにも投資家ビザから切り替えることのできたグリーンカードのみ。改めて、ハワイの地でゼロからのスタートとなったのでした。

その日、お店のガラスドアに閉店報告の張り紙を貼って外に出ました。カピオラニ通りに出ると、真っ青な空に白い雲が浮かんでいて、心地良い風にリズムを合わせるようにして椰子の葉がゆったりと左右に揺れていました。「あぁ、私はハワイにいるのだなぁ。なんて幸せなんだろう」、そう感じたあの時の感覚を今でもはっきりと覚えています。お店は閉まってしまって、お金もなくて、この先どうなるか何も分からなかった訳ですが、周りを見渡すと全てが光り輝いて見えました。ハワイの地に降り立ってから既に1年半が経過していましたが、あの時が、私が初めてハワイと面と向かって出会った瞬間でした。あの時のあの感覚は、頑張った自分へのハワイからの贈り物だったのだろうと思っています。 

(次号へ続く)

レストラン経営時代の貴重な一枚
ご来店いただいた笑福亭鶴瓶師匠とお店の前で

トゥシグナント 知佐子 

chisakolife.com

東京都出身、2013年米国に移住。オアフ島、ロサンゼルス、ポートランド(OR)を経て現在はハワイ島ヒロ在住。数秘セッションと絵画制作 マナアートハワイ manaarthawaii.com・ハワイ島ヒロ自宅でのAirbnb airbnb.com/h/hilosunrisesuite 

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