わたしにとってのキューバ ①

ポートランドの日々を綴っているブログの内容からすると唐突かもしれませんが、今日はキューバのお話をしようと思います。


キューバとは深いご縁があります。キューバという国から得た影響たるや、計り知れません。


キューバとの出会いは24歳の時。新入社員として入社した会社の先輩に誘われて行ったサルサのレッスンがすべての始まりでした。


その先生はサルサの本場であるキューバでのダンス修行を終え、日本へ帰国したての新米先生。公民館で開催されるレッスンは情熱の塊のようで、ほんの数名の生徒を前に全力でキューバのレッスンを再現しようとしてきます。


なんだかものすごいものを見つけてしまった、とわたしはキューバンサルサの虜になりました。


もっと知りたい、もっと、もっと、とサルサをはじめて1年後にはキューバへ。当時のキューバはインターネットや携帯はもちろんのこと、ほとんどの家にまだ電話もない時代。テレビもないお宅もたくさんありました。


電話やメールで事前に連絡もとれないため、日本で先生に住所を書いてもらった紙と地図を片手にハバナの街でサルサの先生そしてスペイン語の先生のお宅をなんとか見つけたと思ったら、開かないゲートの前でしばし呆然。この場合、建物の外から窓に向かって大声で叫ぶのがキューバ流(これには最後まで慣れませんでした)。このようにしながら、文字通りひとつひとつ扉を開いていったのでした。


当時はスペイン語なんて挨拶ぐらいしかできません。そんな東洋人のわたしをキューバ人の先生方は優しく迎え入れてくれ、午前中はスペイン語の個人レッスン、午後はダンスの個人レッスン、それを毎日繰り返し、あっという間にわたしのはじめての有給休暇は終了しました。


実際にキューバを訪れたことでダンスや音楽だけではなく、わたしはキューバそのものに恋をしてしまいました。


日本とはまったく違う価値観でたくましく生きている人たち。物がない(本当にない)けど、人生を豊かに楽しむことを知っている人たち。子供と老人が本当にいい顔をしている国。高く高く天へと突き抜けるサルサの響き。地上の奥深くまで伝わるかのような力強さのルンバの音と動き。そんなものひとつひとつに心が震えました。


その後、毎年のように有給休暇を使ってはキューバを訪れた20代。そして20代最後の年、29歳のとき、キューバへ1年間日本語教師として赴任するチャンスを得たのでした。

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