ちびっこ3歳児のシモキタ大冒険

あの日は父も母も熊本に出張中で不在でした。当時住んでいた家は大きな2階建ての一軒家で、わたしは一階の居間で一人遊んでいました。今でも、3歳だったあの日あの時にピーンと思い立った感覚を鮮明に覚えています。ただただ「行かなきゃ!」という感覚でした。


とにかく「行かなきゃ!」と思い、でも出かけるからには2階にいる祖母にそのことを伝えなければとわたしは階段の下から精一杯の声で「おばあちゃま~、おばあちゃま~」と叫びました。返事はありません。


仕方ないと思ったのか、まぁいっかと思ったのか、3歳児が次にとった行動は、居間にあったおもちゃ箱をひっくり返し6つ歳上の姉が幼稚園時代に使っていた黄色い幼稚園バッグを探しだして肩から斜めがけ。居間のガラス扉を開けて、これまた姉が通学時に履いていた革靴を履いていざ出発となりました。


目的地は恐らくはっきりしていなかったと思うのですが、とにかく「行かなきゃ!」という気持ちで3歳のわたしはトコトコと歩きはじめました。明大前の駅に向かって。


家から明大前の駅までは大人の足で徒歩10分程。子供、しかもブカブカの靴を履いた3歳児には結構な距離だったと思うのですが、母親と何度も歩いた道だったので迷うこともなく一直線、ずんずん進んだんだと思います。


当時の駅にはもちろん自動改札はなく、駅員さんが改札口できっぷをハサミで切ってくれている時代でした。ここの部分わたしは記憶がなくて後から聞いた話なのですが、駅員さんは改札口を通ろうとしたちびっこのわたしに「お母さんは?」と尋ねたのだそうです。するとわたしはなんと「あっち」と言って前方を指差したんだとか!駅員さんもそうか、と思ってそのまま通してくれたのだそうです。


明大前は京王線と井の頭線の乗り継ぎ駅なのでいつも結構混み合っています。小さいわたしは人の流れに乗っかって、井の頭線の渋谷行き急行列車に乗車。


ひとつめの下北沢に到着すると、これまた小田急線との乗り継ぎ駅ということで大勢の人が電車を降りようとするその流れに身を任せて下北沢にて下車。


その流れにのったまま、井の頭線ホーム中央にあった小田急線への連絡階段を下って、ちょうど階段を下りきったところで目の前は線路。人々の足の流れも止まり、そこでようやく右へ行っていいのか左へ行っていいのかわからなくなったわたしは急に我に返り、「ぎゃーーーーーーー」と大泣き。ほどなく駅員さんがやって来て、抱っこしてもらって(泣きながら嬉しかったのを覚えています)駅務室へと連れて行かれたのでした。


その後は、とにかくぎゃーぎゃー泣いたこと、名前や電話番号を駅員さんから質問されて名前は答えられたけど電話番号は答えられなかったこと、しばらくしたら当時一緒に暮らしていたおばちゃま(祖母の姉)が青白い顔をして迎えに来てくれ色々質問されて最後は親指に朱肉をつけて拇印を押していた姿を妙によく覚えています。


そんなわたしの大冒険一部始終のあいだ、家では「ちーちゃんがいない!」と大騒ぎになり、もちろん警察にも連絡がなされ、家の周りでは警察官が警棒を持って茂みの中をつっついて捜索が開始されていました。


熊本にいる両親にも連絡が行き、母親は真っ青になって急遽飛行機に乗ってすっとんで帰ってくるという、とんでもない大事件となってしまっていたのでした(そりゃそうだ)。


その大事件後ほどなく、当時高校生だった兄が2階のトイレの壁のタイルとタイルの間の細い隙間に「チサコ3歳シモキタへ」みたいなことを極小の字でしかも油性ペンで書いて家族みんなの笑いを取り、そのお陰でその後もトイレに行く度にみんながこの事件のことを思い出したのもまた良い思い出です。


なぜあの時小さいわたしは「行かなきゃ!」と思い立ったのかは自分でもよく分からないのですが、不在にしていた母親を探しに「行かなきゃ!」と思ったのかな?とにかく「行かなきゃ!」と決心して、「行くぞ!」と行動にうつし、脇目もふらずに前へ前へと進んだあの感覚は、大人になった今も忘れることなく確実にわたしの一部になっています。「三つ子の魂百まで」は、ほんとのほんとに本当です。


それにしても、小田急線のホームに降り立ったタイミングでちょうど扉の開いた電車が目の前にいたら絶対にそのまま乗車しちゃっていたと思うので、あそこで電車がいなかったこともまた下北沢と結ばれた何かのご縁かな、と思っています。


※写真はフリー素材より(実際にわたしが歩いた道とは関係ありません)

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