ビチョ、13歳の誕生日😺🎂🌈

結婚式の日のビチョ Kailua, Hawaii, 9/2/2017

<愛猫の最期の看取りに関する記事です。写真も含みます。そのような内容が心苦しい方はどうぞここから先、読み進まないようにしてください>


4月5日、今日は愛猫ビチョの13回目の誕生日。でもビチョはその日を迎えることなく、4月1日の未明、天国へと旅立って行きました。


4月5日という誕生日はわたしがビチョと出会って間もなく、ワクチン接種のために初めて動物病院へ連れて行った時にわたしが決めた誕生日です。大きさから言って生後半年ぐらいに見えましたが生まれた月日は正確には分からなかったため、私自身が子供のころ4月生まれに憧れていたこと、あとは4月の第一週はたいてい桜が満開の時期なので毎年桜を見ながらお誕生日を迎えるのっていいな、と思いそうしました。なので、実際にはビチョはもう13歳になっていたのかもしれません。


ビチョには初対面の時から特別なものを感じ、完全な一目惚れでした。愛想のいい猫ではありませんでしたが、お互いの気持ちをものすごく理解し合っていることが子猫の頃から感じられました。それから13年、ビチョはわたしの人生の相棒としてたくさんの冒険を共にし、常にわたしに寄り添い見守ってくれていました。


ビチョは4歳の時に急性腎不全にかかり一命を取り留め、その後は弱った腎臓を抱えながら生きてきました。時々調子が悪くなってはまた回復し、ということを繰り返していましたが、ここ1年ほどは調子が悪い時のほうが多くなってきていました。


病院へ連れて行くと、ハワイの時からそうなのですが、どの病院でも「ものすごく悪い数値です。覚悟してください」と先ずはそう言われます。ポートランドの病院も同じでした。それでも治療を続けると、ビチョはやはり少しの間ではありますが回復してくれました。


半年ほど前からは自宅で皮下輸液を行うようになりました。調子が悪そうな時は皮下輸液を毎日する、ちょっと調子が良さそうな時は間隔を開ける、という感じで自分で調整ができるようになりとても助かりました。


皮下輸液は腎不全で脱水症状になった猫の体を楽にしてあげることはできるのですが、注射針を体に刺すわけなので必要以上には行わないほうがよいため、そこは見極めが必要になります。


調子が悪い時はご飯も食べなくなるので、皮下輸液を毎日行い、食事はシリンジから水と栄養剤を与えていました。お気に入りの缶詰やちゅーるも何も食べないよりはましなので、食べる間は与えていました。


嘔吐を繰り返す時は吐き気止めの薬を与えました。嘔吐は体内の水分をたくさん排出してしまうので、吐き気止めで嘔吐させない方がいいし、吐き気がなくなれば猫自身も楽になるからです。食欲増進の薬も使いました。これは最初の頃はよく効いて助かりました。


最後の数ヶ月は、皮下輸液、シリンジからの強制給餌、投薬、というのが毎日の日課になりました。


動物病院の先生からは、病院での「安楽死」の選択肢もあることを伝えられました。毎日の皮下輸液、 強制給餌、投薬を繰り返していると、「これを止めたらこの子は死んでしまう。わたしが勝手に無理やりビチョの命を引き伸ばしているの?先生の言う通り、動物には安楽死をさせるのもひとつの選択。ビチョもそれを望んでいるのかな」と頭をよぎることが何度かありました。


そして同時に、ビチョの最期に自分はきちんと向き合うことができるのだろうか、という不安もありました。腎不全の末期は毒素が脳にまで回って痙攣を起こすというし、想像するだけでも辛いそのような状況で、きちんと対応するだけの強さが自分にはあるのだろうか。未知のことだったので、正直に言うととても怖かったのです。


でもビチョはどんなに具合が悪くても、フラフラしながらでもトイレに行き、弱々しいながらもありったけの力でわたしの首にフミフミしてくれ、登れない棚に登りたそうにしたり、地下室への扉を開けてほしそうにしたり。実際に亡くなる数日前には自力で地下室への扉を開け階段を降り、作業していた旦那さんの脚にスリスリしました。


そういう姿を見ると、やはりこの子はまだ生きたいんだ、それを私が勝手に「楽にしてあげる」とか言って彼の命を奪ってはいけない、と思い直しました。ガリガリに痩せてしまっても衰えなかったビチョの鋭い目ヂカラからも、彼の「生きる」意志を感じていました。


ここ1週間は一切何も食べることができず、お水も自分ではほぼ飲めず、体内に入る栄養素はシリンジから与える栄養剤のみ。これも、最期の数日は一日の規定量を飲めなくなってきていました。ほとんどが口からこぼれ出てしまうのですが、わたしはとにかく飲ませたい一心で半泣きになりながら祈るような気持ちで与え続けていました。


「飲み込んでくれるうちはまだ生きる意志があるんだから続けよう」と決めていた自分自身のルールさえも、ビチョの嚥下能力が低下して危うくなってきてしまっていたのです。そんな状態でもまだ、諦めきれませんでした。


最後の最後、あぁもうほんとうに最期だ、と自覚したのは、亡くなった日の朝でした。床にぐったりと横たわり、もう歩ける様子ではありませんでした。トイレに抱いて連れ行ってあげると、おしっこをしました。これがトイレでした最後のおしっこでした。


トイレのすぐ横にベッドを作って横にさせ、しばらく様子を見ていました。すると、ビチョの体がビクっと動き、痙攣が始まりました。びっくりせずに、落ち着いて、タオルなどで体をくるんで優しくホールドして、5分もすればおさまるから、とこれまでに何度もインターネットで調べた情報がどれだけ役に立ったことか。自分は頭で理解ができていたし、心の準備もできていたんだ、と実際に体験した時に初めてそのことがわかりました。


長く感じましたが、その時の痙攣は1-2分だったと思います。体をさすってあげているとそのうち落ち着いてきました。でもその後、もう立ち上がることはできませんでした。ブランケットの上にペットシーツを敷き、その上にビチョを寝かせてその後は片時も離れず一緒にいました。その後、ビチョはペットシーツの上で1回だけおしっこをしました。


皮下輸液、いやがるシリンジからの強制給餌、投薬、この3つは一体いつまで続けたらいいのか、という葛藤は同じ状況の飼い主さんであれば一度は感じるのではないかと思います。誰かに答えを与えてほしいのですが、でもやはりその子にとっての最善のタイミングは飼い主さんにしか分からないのではないかと思います。だから、怖いし勇気もいるけど、自分の判断を信じる他にないのです。


わたしは結局、亡くなる前日まで行い続けました。でもこの日の朝、ぐったりとしたビチョの姿を見て、そしてその後初めての痙攣があってその時にようやく、そしてはっきりと「もう全部やめよう。ビチョの身体があと何日もつかは分からないけれど、あとは自然に任せよう」、そう決めました。


インターネットの情報によっては、皮下輸液だけは最後までやったほうが猫の体が楽になる、と書かれているものもあるのですが、わたしはやはり最後の最後は体内に外から無理やり液体を入れないほうが楽に最期を迎えられる、という考え方をより理解できたためそのような選択をしました。


ブランケットとペットシーツの上にビチョを寝かせた状態で、その日は並んで寝床につきました。ビチョの前足を握りながら、わたしは眠ってしまいました。心のなかでは覚悟しつつも「きっとまだ大丈夫」という気持ちがあったと思います。


夜中、ビチョがわたしの手をクイ、クイ、と押しているのを感じてハッと目を覚ましました。ビチョの体がビクッ、ビクッと小さく痙攣しています。わたしは飛び起きてビチョの体をさすり、声をかけ続けました。数分後、ビチョは小さくカッ、カッ、カッと何かを吐き出すような音を立てて、そして静かに息を引き取りました。ほんの数分の出来事でした。苦しむ様子もなく、あっという間の出来事だったので、まだビチョが生きているように見えてしばらくの間は信じられませんでした。


ビチョと過ごした最後の数ヶ月のことをここに書いておこうと思ったのは、わたし自身が猫(ペット)の看取りをするのが初めての経験で、分からないことや不安なこと、判断に迷うことが途中何度もあり、その度にインターネットで沢山の有益な情報を得たり、勇気や力をもらうことが出来たからです。  


数日共に過ごした後、ビチョをペット火葬の場所に連れていき最期のお別れをしました。その時に出た言葉は「ありがとう」と共に「行ってらっしゃい」でした。今までいつも「行ってきます」と「ただいま」ばかり聞いてきたビチョ。いつもいつもわたしの帰りを待っていてくれたビチョ。今回は初めてビチョが先に行く番です。

Portland, 4/2/2021


結果的に、「やれることは全部やった」と思えるところまで看病させてくれたのは、ビチョの愛と強さのお陰だったと思っています。感謝しかありません。


ビチョ、本当に本当に、ありがとう。そして、13歳のお誕生日、心からおめでとう。

Portland, 4/2/2021
Portland, 4/5/2021

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