夕焼け新聞4月号掲載『桜』

米国オレゴン州月刊コミュニティ紙『夕焼け新聞』2021年4月号に掲載されたコラムの全文です。

********************************* ***********

ハワイそしてカリフォルニアを経てポートランドへ引っ越してきたせいか、日本の四季とよく似たポートランドの季節の移ろいが妙に心に染みます。

ウィラメット川沿いの見事な桜並木はもちろん、犬の散歩でごく近所を出歩いただけでも、目に入る光景はピンク色に春めいて、吹く風からも懐かしい春の匂い。ハワイやカリフォルニアでは味わえなかった感覚です。

日本人には桜を愛でる心がDNAレベルで刻み込まれているのか、私もまた例外ではありません。ポートランドでまた久しぶりに桜の木の下に立って、思い起こす光景がありました。

ハワイへの移住を目前に控えた2013年の春、私は母を誘って早春の伊豆へ河津桜を観に一泊旅行へと出掛けました。それは初めての母娘二人旅でもありました。

その日、満開の桜を眺めながら母と並んで川沿いの遊歩道をかなりの距離歩きました。ホテルに戻り、歩き疲れた身体を湯船でほぐそうと大浴場へ。アメリカへの移住を前に少し感傷的になっていたことも手伝い、頭の中ではぼんやりと「母の背中でも流してあげられるといいな」と考えていました。もちろん、初めてのことです。

「この時間ならきっと空いているだろう」という私の目論見は見事に外れ、大浴場では10名程の中年のおばさまグループがワイワイやっていました。正直「参ったな」とは思ったものの、引き返すのも億劫なぐらい母は疲れている様子だったのでそのまま浴場へ。

コの字型に並んだシャワーは2つ並んではあいておらず、母とはちょっと離れたシャワーを使うことになってしまいました。仕方なし、そのうちあくだろうと身体を洗い始めました。すると、大きな声でおばさまグループ一行による大愚痴&悪口大会が始まってしまったのです!

その内容は、共通の知り合いであろう女性の悪口にはじまり、その日の朝の大浴場で隣のシャワーを使っていた人の石鹸が飛び散って身体にかかった愚痴にいたるまで、止まることのない勢いで次から次へと続きました。

私はちらっと斜め後ろを振り返り、下を向いて何も聞こえないフリをしながら淡々と身体を洗っている母の背中を見つめました。「お母さん、どうかゆっくり身体を洗ってね。このおばさまグループがいなくなったら背中を流してあげるから」と念を送ってみたものの思いは届かず。母もそんな浴場からは一刻も早く退散したかったのかもしれません。

満開だった河津桜のちょっと濃いいピンク色の花と共に思い出すのは、斜め後ろに振り返って見た、ちょっと丸まった母の背中。

日本人がこれほどまでに桜に惹かれる要素のひとつ、それは桜の花の儚さでしょう。今日は満開だったけれど、夜の雨風が強ければ、次の日はすっかり見頃を過ぎてしまっているかもしれない。「明日、どうなるか分からない」という儚さ。

私はあの時、悪口大会のおばさまグループに圧倒されている場合ではなかったのです。ワクチンの順番が回ってきて晴れて日本へ帰国できた日には、母の背中を流してあげよう。ポートランドの桜の木の下、母の背中を思い出しながらそう心に決めたのでした。

トゥシグナント知佐子

東京都出身、2013年米国に移住。ハワイ、カリフォルニアを経て、現在は、ボストン出身の夫、日本生まれのオス猫、オレゴンの森の中で生まれたコリーのメス犬と共にポートランド在住。ブログhttps://chisakolife.comにて、ポートランドの暮らし、国際結婚、犬猫との生活、自らの絵画制作などについて執筆中。

筆者画、『河津桜』
母娘二人旅で訪れた河津桜の美しさを思い出しながら描いた一枚。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です