夕焼け新聞4月号掲載『ホ・オポノポノ』

米国オレゴン州月刊コミュニティ紙『夕焼け新聞』2022年4月号に掲載されたコラムの全文です。 ********************************* ***********

ホ・オポノポノをご存知ですか?ホ・オポノポノは、数百年も前からハワイに伝わる問題解決の方法。わたしは以前オアフ島に暮らしていた頃に数冊ホ・オポノポノに関する本を買って読んでみたのですが、とてもすんなりと納得のいく部分と、どうにもよく理解できない部分とが混在しているような印象でした。

とてもすんなりと自分の中に入ってきた部分、それはホ・オポノポノの概念、考え方でした。ホ・オポノポノではすべての問題は個人の潜在意識の中にある「記憶」が原因であると考え、この記憶を消去すること(クリアにすること)が根本的な問題解決につながる、と考えます。つまり、辛い記憶はトラウマに、よい記憶は執着となって、わたしたちが正しい判断をすることの妨げとなっていて、この地球上に存在するありとあらゆる問題の解決のためには、それら個々人の記憶を個々人がそれぞれに手放してゼロにする必要がある、と説かれます。なるほど、これは仏教の「悟り」の考えにも通ずるところがあり、いわば仏教でいうところの「空」の状態をホ・オポノポノでは「ゼロ」の状態と表現しているとも解説されており、わたしにはとても自然に受け入れることができました。

逆にどうもよく分からないなあ、と感じられたのはホ・オポノポノの実践の部分でした。ホ・オポノポノのメソッドはとてもシンプルで、ただ心の中で「ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛しています」と4つの言葉を唱えるだけです。ホ・オポノポノではこのメソッドを通して、自分の潜在意識の中にある記憶をゼロにすることを「クリーニングする」と表現します。これはある意味仏教での「お経」のようなものとしても捉えられますし、メソッド自体に関しては受け入れるのに違和感はなかったのですが、いざ実践してみようとするとこんがらがってよくわからなくなってしまった、というのが実際でした。

一体わたしは何に向かって「ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛しています」と唱えているのだろう?なぜこの4つの言葉なのだろう?いつまで唱え続けたらいいのだろう?ゼロになるってどこまでいったらゼロなのだろう?と考え始めると途端に分からなくなってしまったのです。ホ・オポノポノでは深く考えずに先ずはとにかく機械的にでも実践してみることが推奨されていますが、理解して納得できないことにはなかなか先に進めない性格が災いし、結局続きませんでした。このように、なんだか良いもののような気はするけれどよく分からないなぁ、という印象のまま数年間置き去りにしていたホ・オポノポノ。ここハワイ島へ戻ってから最近、あることをきっかけにわたしの中で再復活してきています。

ハワイ島の我が家のリビングルームには、まだポートランドで暮らしていた昨年の4月に天国への橋を渡っていった愛猫の遺灰壺が彼の写真と共に並んでいます。ある日、その愛猫の遺灰に手を合わせていた時のこと、本当に思いがけない感じでふいに「ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛しています」というフレーズが頭をよぎりました。「あ、これ、ホ・オポノポノだ!」と思ったわたしは、そのまま流れに気持ちを委ねました。

「ありがとう」。愛猫へのメッセージとして一番に、そしていくらでも湧いてくる思いはこの「ありがとう」です。日本からアメリカへの移住という大冒険を共にしてくれてありがとう。楽しい時も苦しい時もいつも側にいてくれてありがとう。最後まで、わたしの悔いが残らないところまで看病させてくれてありがとう。そして、最後の最後の瞬間まで愛してくれて、ありがとう。

「ごめんなさい」。長年腎臓病を患っていた愛猫。獣医師さんから安楽死の選択肢があることを伝えられたことも一度ではありませんでした。それでもどうしてもあきらめがつかず、最後はガリガリに痩せてお水も飲めなくなってもまだあきらめきれず、最後はわたしの腕の中で息を引き取りました。わたし個人では「できることは全部やった」と思えるところまで看病させてもらいましたが、時に「本当に正しい選択だったのか」「単に自己満足だったのかもしれない」「愛猫を苦しめてしまったのではないか」という気持ちがよぎることもありました。

「許してください」。結局、何が一番よかったのかはわかりません。彼のことを一番よく知る飼い主であるわたしが決めた選択が一番良い決断だったはず、と信じる他はありません。あとはただもう、「苦しませてしまってごめんなさい、許してください」と謝り、許しを請うしかないのです。

「愛しています」。13年という年月を共に過ごした愛猫との時間はわたしにたくさんのことを教えてくれました。子猫時代の可愛さも格別でしたが、成猫になって年を取れば取るほどに、共にする時間を重ねる毎に互いの愛情と信頼関係は揺るぎないものになってゆきました。一匹の小さな命をここまで愛することができるのだ、ということを彼は教えてくれました。わたしは子供がいませんが、一点の曇りもなく「愛しています」という言葉が出てくるこの気持ちは親が子に対して抱く無条件の愛と同じかな、と思ったりします。

文章で書くと長くなりましたがこれらの思いがほぼ一瞬のうちに頭を駆け巡り、わたしはこの時ようやくホ・オポノポノが腑に落ちたような気がしたのです。ホ・オポノポノに対して「なんだかよく分からない」と思っていたのは、この誰もが知っている(知っていると思っていた)「ありがとう」「ごめんなさい」「許してください」「愛しています」という4つの言葉への実感を伴った理解の深さが足りていなかったのだということ、更にこの4つの言葉以外にはもはやかける言葉はないほどに今は亡き愛猫への思いを網羅しているその網羅性にも同時に気付いてしまい、正直驚きを隠せませんでした。

ホ・オポノポノは「過去の記憶をクリーニングしてゼロにする」のが目標と説かれているのですが、「クリーニング」というとなんだか汚いものを掃除してきれいにしないといけない、といったイメージでいたのもこれもまた間違いであったことに気付きました。自分の中にある記憶は、良いものも悪いネガティブなものも関係なく、すべて先ずはそこに「ある」ことを認め、そして「ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛しています」と声をかけてあげることによって結果として流されてきれいになってゆく、つまり癒やされてゆくようなイメージなのかなと今は理解しています。自分の中に沸き起こる感情や思い(記憶)に先ずは気付いてあげて、認めてあげて、声をかけてあげる。この繰り返しによって一人一人が各々の心に平静をもたらすこと以外に問題の解決方法はありませんよ、というのがホ・オポノポノの教えなのか!と納得できてようやくホ・オポノポノの教え全体が心と身体に入ってきました。この、記憶がゼロとなった何事への先入観も一切ないクリアな状態をホ・オポノポノでは「ゼロ」の状態といい、その「ゼロ」の状態こそが本来の自分自身であり、本来の自分自身へと戻るジャーニーこそが人生だ、と説かれます。

地球上では今この瞬間もさまざまな地域で痛ましい紛争や侵攻が起こっています。わたし個人にできることは何なのかを考えるとそれは、怒りや批判で心をざわつかせることではなく、先ずは自己の内側を整えることでしかないように思うのです。これこそまさに、ホ・オポノポノ。もうすぐ迎える愛猫の一周忌と共に、わたしのホ・オポノポノジャーニーも始まったような気がしています。

【参考文献】

『ホ・オポノポノの教え』イハレアカラ・ヒューレン著(イースト・プレス発行、2009年)

『ホ・オポノポノジャーニー ほんとうの自分を生きる旅』平良アイリーン著(講談社、2015年)

トゥシグナント知佐子

東京都出身、2013年米国に移住。ハワイ州オアフ島、カリフォルニア州ロサンゼルス、オレゴン州ポートランドを経て現在はボストン出身の夫、オレゴンの森の中で生まれたコリーのメス犬、ローカルボーイの子猫2匹と共にハワイ島ヒロ在住。https://chisakolife.com

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