夕焼け新聞11月号掲載『海のアトリエ』

ハワイ島からブログ発信中。こちらは米国オレゴン州月刊コミュニティ紙『夕焼け新聞』2023年11月号に掲載されたコラムの全文です。

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ハワイ島を訪れた友人が、「この本、ちーちゃん(私)のことが思い浮かんで」と日本から持ってきてくれた絵本『海のアトリエ』。

驚いたことに、作者は私の中学時代の美術の先生でした。当時まだ藝大を卒業したばかりだった先生は既に画家として活動されていて、週に数回母校で教え始め、生徒たちには「理万子さん」と呼ばれていました。若くて可愛い理万子さんは、生徒のことを子供扱いしない先生で、我々にとっては「先生」というよりも「理万子さん」だったのです。

『海のアトリエ』 堀川理万子作、偕成社

この絵本、「ちょっといろいろ、いやなことがあって、学校にいけなくなって」いた女の子が、母親の昔からの友人である女性画家のアトリエで過ごしたある夏の一週間が描かれています。女の子はそこで絵描きさんが絵を描くのを眺めたり、猫と遊んだり、一緒に食事をした後に本を読んだり、朝起きて二人で体操したり、自分も絵を描いてみたり、海へ泳ぎに行ったり。そうやって女の子は、海のアトリエで絵描きさんと共に自由にのびのびと時間を過ごしながら素の自分を取り戻してゆきます。

私は子供の時から絵を描くのが好きで、幼稚園の頃から絵画教室に通わせてもらっていました。絵を描くのが好きなのに「自分には絵の才能がない」と思いこんでいた私は、絵を描くのが嫌になったり、教室に通うのが苦痛になったりすることもよくありました。それでもなんだかんだと大学に上がるまで絵画教室に通い続けたのは、とてもユニークな先生のことが大好きだったのと、絵画教室で出会う大人の人達とのふれ合いが楽しかったから。

小学校高学年から高校までお世話になった絵画教室は東京の下落合という場所にあって、毎週末、新宿からバスで通っていました。当時二科会会員であられた故陣野重康先生のアトリエです。そこではほとんどの生徒さんが油絵を習っていて、毎週土曜日の午後、好きな時間に来て、描いて、先生の指導を受けて、好きな時間に帰っていく、というスタイル。通っているのはOLさんや主婦の方が殆どといった中で、ダントツ最年少の私から見ると自分以外は全員「大人」でした。アトリエのドアを開けると、フワッと油絵の具の匂いがして、中には生徒さん達の描きかけの絵がたくさん壁に立て掛けてありました。

ある日、あまり気が乗らない感じでアトリエに着くと、一枚のキャンバスに目が釘付けになりました。描きかけの絵の上に、「絶不調」と油絵の具で大きく殴り書きのような文字が書かれていたのです。びっくりすると同時に、思わず笑ってしまいました。いわゆるスランプのような調子が上がらない時、絵の具を重ねれば重ねる程に色が淀んで絵全体が汚くなってしまう時ってあります。まさに「絶不調」。言い得て妙のこの一言が、本来「絵」が描かれるべきキャンバスの上に「字」で、しかもせっかく描いた絵の上で容赦なくデカデカと主張している、その奇想天外な潔さに先ずは驚きました。そして、不調な時ってあっていいんだ!私もこうやって不調の時は「不調」って声に出していいんだ!となにか肩の荷が降りたような心の緩みと共に、真剣さの中に垣間見えるユーモラスな感じが伝わってきてふいに笑いが込み上げたことを覚えています。こんな風に、アトリエに通っている他の生徒さん達も個性豊かでおもしろかったし、陣野先生自身がまた人間味があってとても魅力的な先生でした。

陣野先生との心に残るエピソードはたくさんあるのですが、特に印象深い先生の言葉があります。女性をモチーフにした絵を数多く描かれていた先生が、ある時こんなことをおっしゃいました。「女性が一番美しく見える瞬間っていうのは、ちゃんとお化粧をして、雨の日に傘を差しながら誰かを待っている時なんだな」。その後に続く先生の解説によると、何事もあまりにあけっぴろげであるよりも、一枚薄いベールがかかったような少し影のあるところにこそ美は宿る。だからこそ、素顔よりもお化粧をした顔で、晴れの日ではなく雨の日、そして傘の下、誰かを待つ表情、そんなものが美しいのだ、と。なるほど、と子供心ながらに思ったものです。陣野先生自身の美学がとてもよく表れた一言です。

ハワイ島ヒロの筆者宅アトリエ

時は巡り今、私はハワイ島に暮らしています。そして先日、陣野先生のお孫さんが大学の卒業旅行でハワイ島ヒロを訪れてくださいました。若かりし頃「絶不調」と書かれたキャンバスから何かを感じたり、ふと口にされた先生の一言に美学を感じて刺激を受けたりしていた自分が、ぐるんと回って今度は誰かにそういう影響を与えるかもしれない側に立っています。

陣野先生や理万子さんはじめ過去に出会った素敵な師や先輩方からいただいたギフトは、私の中に入り込み、自分だけの経験や思考とブレンドしてオリジナルの感性となって今現在の「私」を形作っています。私自身はただここに私として在るだけですが、目の前にたくさんの未来が広がる若者達がそこから何かしらのギフトを感じ取ってくれるのだとしたら、これほど嬉しいことはありません。

トゥシグナント 知佐子 

chisakolife.com

東京都出身、2013年米国に移住。オアフ島、ロサンゼルス、ポートランド(OR)を経て現在はハワイ島ヒロ在住。マナアートハワイ manaarthawaii.com・ハワイ島ヒロ自宅でのAirbnb airbnb.com/h/hilosunrisesuite 

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